釧網本線・清里町駅→川湯温泉駅の鉄道旅と、川湯温泉・硫黄山の地理・歴史などを、旅行初心者の方にもわかりやすく解説してゆきます!
知床斜里駅から、川湯温泉駅へ
知床斜里駅(北海道斜里郡斜里町)を出て
- 清里町駅(北海道斜里郡清里町)
を南下すると、
- 札弦駅
- 緑駅
を経て、川湯温泉駅(北海道川上郡弟子屈町)に到着します。

川湯温泉駅(北海道川上郡弟子屈町)
元々は「川湯駅」だった、川湯温泉駅
川湯温泉駅は、昭和初期の開業当初は川湯駅という駅名でした。
しかし、後に地元の温泉街である川湯温泉を観光客にもっとアピールできる駅名の方がいいということで「川湯温泉駅」となりました。
これはかつて、
- 斜里駅が「知床斜里駅」に、
- 弟子屈駅が「摩周駅」に
変更されたのと同じです。
元々は軍事目的などで造られた、釧網本線
釧網本線は、元々は当時は昭和初期ということもあり軍事目的などで造られた路線です。
すなわち、周辺で採れた資源を運んだり、北海道の防衛を固めるための兵士や食糧・武器などを運ぶための路線ということですね。
当時はまだ、自動車や車道が一般的ではありませんでした。
そのため、軍事目的で鉄道が使われることはまだまだ主流でした。
戦後は「観光路線」となった釧網本線
ただ戦後になると、世の中は平和になるため、こうした軍事目的での利用・需要は無くなります(もちろん、世界が平和になることはとても素晴らしいことですが)。
また、1960年代には自動車が普及してくるため、人々は列車を利用しなくなり、これも鉄道にとっては悩みの種になります。
すると釧網本線は、生き残りをかけて、観光路線としてシフトチェンジすることを決めます。
つまり軍事需要が減った分、また自動車にシェアを奪われた分、観光客の皆さんを載せることで収益を維持していこう、という作戦に切り替えたわけですね。
釧網本線の基本や歴史については、以前の以下の記事においても解説しております。併せてご覧ください。

「観光地を冠した駅名」に変更された数々の駅
こうした背景もあり、それまでの駅名を「有名な観光地を冠した駅名」に変更することが行われたのだす。
川湯温泉駅は、後述する
- 摩周湖
- 硫黄山
- 屈斜路湖
などへの観光拠点になります。

屈斜路湖(北海道川上郡弟子屈町)
硫黄山については、次回(以下の記事)において解説しております。

摩周湖については、また別の記事(以下の記事)において解説しております。

屈斜路湖については、また別の記事(以下の記事)において解説しております。

川湯温泉 温泉街としての歴史
「熱い湯」が流れていた川に由来する、川湯温泉
川湯温泉の川湯とは、アイヌ語で「セセク・ペッ」からの意訳です。
- セセク=温泉
- ペッ=川
つまり「川の温泉」ということで、「川湯」というわけですね。
川湯温泉は、その名の通り「お湯のような川」が流れるということで、かなりの昔からその存在自体は知られていました。
このように、
様子が見られたわけです。
また、川湯温泉では、川原を掘ればお湯が地面から吹き出してきたため、そこから露天風呂も楽しめたわけです。
アイヌの時代から「セセクペツ」として親しまれた、川湯温泉
また、川湯温泉は、アイヌの時代から「セセキベツ」(意味は「熱い川」)と呼ばれ、親しまれていました。
アトサヌプリ(硫黄山)の火山によって暖められた地下水
川湯温泉は、アトサヌプリという火山によって暖められた地下水が、川のように流れることからその名前がつきました
「火山で温められた地下水」である温泉
温泉というものは、火山で温められた地下水が、地上に湧き出し上げることで起こります。
つまり温泉では、火山の地下の灼熱の炎が、まるで自然の「湯わかしガス」のような働きをしてくれるわけです。
昔は、火山が生み出す温泉の「お湯」は、とても貴重だった
まだ現代のようなガス(などのインフラ)が発達してなかった大昔は、火山の温泉のお湯は、とても貴重なものでした。
例えば、温泉のお湯は、以下のように使われたのです。
- 生活に必要なお湯
- 調理用のお湯
- 病気やケガを治すためのお湯
川湯温泉の「温泉街」
明治時代初期の1880年代には、川湯温泉には最初の温泉旅館が建てられています。
しかしこの温泉旅館が、近隣の硫黄山(アトサヌプリ)で働く人々たちが「よからぬ事(ギャンブル・賭博的なやつ)」をするための拠点・巣窟(アジト)のようになってしまったようです。
これでは治安的にもマズいということで、一度はその温泉旅館は廃止となってしまいました。
なぜなら、そのまま放っておくと、各地あちこちから次々に怖い「よからぬ人」たちが集まってきて、そういう「グラサンをした怖いお兄さんたち」が町をウロつくようになり、町のガラが一気に悪くなるからですね。
余談:●●→興味ある人だけ読んでね!
ちなみに余談になりますが、温泉街にはどうしても「風●店」などが多くなります。
それは、働き盛りの若いお兄さんたちが「社員旅行」や「余暇」などで温泉街に泊まりに来たときに、夜にはどうしても●欲を発散したくなるからですね。
そんな男性側の「需要」と、生活に困窮するなどして大金を稼ぎたい女性側の「供給」がマッチするという形で、温泉街にはどうしても風●店が増えやすくなる、というわけです。
つまり、これにより男性側は「●欲の発散」ができ、女性側も「お金が稼げる」というWin-Winの関係となるわけです。
しかし、こうしたお店が多いと「温泉街のイメージダウン」にも繋がってしまうこともあります。
このことから、そうしたイメージを払拭するために、「町興し」「女性や家族も来やすい町づくり」の取り組みなどもなされています。
余談補足:●●についての、あなたの疑問解決
ちなみに現代では、売春(=つまり、お金を払って●行為をさせてもらうこと)は、「売春防止法」という法律で禁止されているわけです。
しかし、東京の「吉原遊廓」や大阪の「飛田新地」のように、それに近いことが行われており、そこには様々な日本社会の「闇」や「大人の事情」が存在しているわけです。
そのあたりは「大人の教養TV」というYouTubeチャンネルで、元東大生のドントテルミー荒井さんという方がわかりやすく解説されています。
ぜひYouTubeで「大人の教養TV 吉原遊廓(または飛田新地)」などで検索してみてください。
【YouTube 大人の教養TV 吉原遊廓の歴史から現在の実態まで 現地からわかりやすく解説!】

温泉街として発展するも、苦境に陥った川湯温泉
話を元に戻します(話が逸脱してしまいすみません・・・)。
大正時代はまだ交通網が発達しておらず、川湯温泉には行きづらかった
こうした川湯温泉の温泉街は、大正時代になって「洋風のおしゃれな温泉旅館」が建てられたわけです。
しかし、当時はまだまだ交通網が発達しておらず、あまり川湯温泉までわざわざ来るような客はいませんでした。
昭和期に、釧網本線や道路ができたことより、川湯温泉へのアクセス向上・繁栄
しかし、昭和に入って釧網本線(鉄道)が開通したのでした。
さらには、周辺における道路がどんだん整備されていったことから、たくさんの人々が川湯温泉に来るようになりました。
すると、次々に温泉旅館が建てられてゆき、しだいに温泉街が形成されてゆきました。
温泉街の主な役割・メリット
温泉街の存在は、地元にも観光客にとっても、どちらにもメリットがあります。
まずは、経済的な貢献です。
つまり、観光収入が増加するというわけですね。
温泉旅館や飲食店、土産物店などに対して観光客を呼び込むことで、収入・利益がもたらされ、人々の生活が安定するようになります。
これにより、地域経済が活性化されることが期待されます。
次に、雇用が創出される、ということです。
温泉旅館などといった関連施設は、たくさんの「人手」を必要とします。
そのため、地元の人々が雇われて給料が払われることにより、人々の生活が安定してくるため、多くの雇用機会が産み出されるいう効果に繋がってくるわけです。
戦後、映画「君の名は」により、川湯温泉の知名度向上
戦後になって、川湯温泉は少し伸び悩んでいたのでした。
しかし、1953年に映画「君の名は」が公開されると「聖地巡礼」として、どんどん観光客が増えて行くようになりました。
ただ、この地域は冬はとんでもなく雪が降る豪雪地帯になります。
そのため、冬季はしばしば雪のために列車の運休・通行止めになってしまいました。
そのため、冬の期間は来るお客さんの数も滞っていました。
しかし、その後に除雪作業の技術が進み、路面の改良も次々に行われていった結果、冬でもどんどん川湯温泉まで来られるようになりました。
バブル崩壊により、川湯温泉は苦境へ
そしてバブル期にかけて、川湯温泉の観光客数は過去最高のピークに達するのです。
しかしその後の「バブル崩壊」にともなって世間は一気に不景気になり、観光客は減少、現在でも温泉街は苦しい状況下にあるようです。
現代の温泉地や観光地の課題
ここからは川湯温泉のみならず、他の一般的な全国の温泉・観光地についての課題や話題について取り上げます。
人手不足・少子高齢化・物価高騰などがもたらすリスク
現代の温泉地や観光地は、
- 少子高齢化
- 過疎化
- 人材不足
など、多くの課題に直面しています。
つまり、温泉地のメインターゲットとなる顧客層において、高齢者の割合が増加する一方で、若年層の都市部への流出が進んでいっています。
このことで、地域全体の人口が減少しています。
これにより、温泉地の全体的な活力が低下してゆき、さらには経済活動までもが停滞していってしまう、という可能性もあります。
近年の物価高騰が、観光地に与える影響
また、近年は物価高騰は、温泉街の宿泊客の減少にも、大きな影響を与えています。
特に、物価上昇による支出抑制の影響で、
- 近場への旅行が増えてゆき、
- ちょっと遠くにある温泉地への宿泊が減少してしまう
という傾向にあります。
また、他にも観光客は高級ホテルや高級レストランなどといった、高価格帯のサービスを避ける、といった傾向も見られるようにもなってきています。
「フードロス」削減の重要性
また、温泉地においては飲食店における、フードロスを削減する取り組みも重要です。
つまり、食べ残しや破棄などを、なるべく減らすということです。
フードロス削減は、以下のようなメリットがあります。
- 二酸化炭素の排出量の削減
- 貴重な食材などの、資源の節約
- 廃棄物処理場における、ゴミを処理するときの負荷軽減
- 企業におけるコスト削減
- 家計における支出削減
- 食料が不足している国への支援
などに繋がります。
温泉の「お湯の量」を適切に管理
温泉における「お湯の量」を無駄がないように適切に管理し、それによって環境への影響を最小限に抑えることも重要なってきます。
無駄のないお湯の利用は、
- 限りある水の資源を節約する
- 電気などエネルギー消費を削減する
- (汚くなった水の)排水量を抑制する
などにつながります。
これによって、環境への影響・負荷を最小限に抑えることに貢献します。
SNSやInstagramなどを用いた、観光地の情報発信
また、SNSやInstagramなどを用いた情報発信の強化も、重要な要素です。
温泉地の魅力を効果的に発信し、旅行に来てくれそうなターゲット層にも合わせた情報発信を行っていく、というわけです。
例えばSNSでは、写真や動画などといった「ビジュアル的要素」を用いるため、観光地の魅力を「これから旅行に行こうか」という人々に伝えやすいという特徴があります。
また、口コミやシェア等による拡散も期待できます。
さらに、SNSは従来の広告と比べると、比較的低コストで始めることができるというメリットがあります。
持続的な「観光地維持」のための取り組み
つまり、
- 地元の住民の皆さんが、安心して暮らしていけるための環境整備
- 観光客の方々が楽しめるための空間を作っていくための努力
が必要となってくるわけですね。
次は、硫黄山(アトサヌプリ)の話題へ

硫黄山(北海道川上郡弟子屈町)
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